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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 はちすの露1  倉敷市芸文館公演25年

はちすの露
原作・今 田  東「手毬貞心閻魔堂」
   脚色・吉  馴    悠
                 時  徳川家治の頃
                処  越後長岡の外れの閻魔堂
                人  貞心尼らしい。
                情景
                不便につき人訪れることなし。一人り行をし仏典を読み
耽り、万葉集に親しむ。生業を托鉢と針仕事、薇の綿
                を芯にして絹の糸で毬をかかるのである。
                荒ら住居なれど、尼の庵らしく整然としている。
                六畳と三畳、それに厠と台所。
                六畳の間に閻魔像と常緑の木が供えられた本尊と経机               
                                   。閻魔は地蔵菩薩にも通じる。
                上手に簡単な竹の垣根。
                下手には冬籠もりの薪が積まれている。
                六畳の正面には明かり取りの窓が開かれている。
                中央に囲炉裏、それを囲むように畳が敷かれている。                
                                   壁には衣桁、嚢中、杖、などが見える。
                書卓があり、硯と筆、紙が置かれ、幾冊かの本が傍に                
                                   積まれている。手毬が幾つか転ばっている。
                仕立物を頼まれての布が隅に置かれてある。
                下手の奥に三畳の寝やと簡単な台所と厠。
  開幕すると、
                上手に小さなトップが下りる、そこには手毬が、笠が 
杖が現われる。
                良寛の唄が読まれる。
                子供たちとの童歌が響く・・・。
                間
                波の音がだんだんと激しくなる。
                その音の後に自然の奏でる音が続く。
                周囲からだんだん溶明すると・・・
                頭巾に法衣の女が筆を走らせている。


男や女の声   良寛禅師と聞えしは出雲崎なる橘氏の太郎のぬしにておはしけるがはたちあまりふたつといふとしにかしらおろしたまひて備中の国円通寺の和尚国仙といふ大徳の聖のおはしけるを師となしてとしごろ所々に物し給ひしとぞ。(「はちすの露」の書き出しをよんで) 
   ゆっくりと顔をあげて、チラリと明かり摂りの方を見て、                             

 あら、すっかり暮れて、(明かりとりの窓を見て)細い糸のような雨が・・ ・。枯葉が微かな音を・・・。自然は何と偉大なんでしょうか。暗闇が迷いや定めを和ませてくれ、雨や風の営みが疲れた体を労わってくれる、励ましてくれる。 それにしても、懐いを短紙の和歌にして・・・。書いていると何だか身体が熱くなって・・・。まだ生身の女子が心に棲み付いて・・・お恥ずかしゅう御座います。押掛けの弟子、良寛さまはさぞ嘆かれておいででしよう。 風の色が変わると,いつもなら落葉が空に舞うように・・・。白糸の雨がやがて、雪へと変わり・・も  うすぐ風花が舞いまするな・・・。 この辺りの物はみな雪の下で冬眠をいたします。その支度は夏の終わり頃から・・・。お百姓さんは 筵を、縄を、薪をと言う風に・・・。             私は長い冬の間にしっかりと仕立物を熟して、お堂の維持費を賄い、読み物、歌 とお習字の手習 いをと・・・。 
            きみにかくあいみることのうれしさも
                まださめやらぬゆめかとぞおもふ(貞心)
   と短冊の歌を詠む。 まあ、まるで十四五の少女の歌のよう。これでは良寛さまに嗤われます。懐いは、ときめきは女子とし ての慎みまで壊すのでしょうか・・・。懐いから零れる明かり・・・淋しい、辛い、だから余計に愛をしい、募ります、つのります・・・。 
 島崎は能登屋、木村さま宅の離れに寝起きされての良寛さまと、私の住む長岡の外れ福島は閻魔堂(えんまどう)、私と良寛さんを隔てるは信濃川と塩入峠(しおねり峠)、それに雪が意地悪をするので、溶けるまで一人ここでの暮らしになります。差し障りがより深く念う心の色へ変えてくれます。 今頃、囲炉裏に手を翳しながら、和紙へ筆を走らせ、漢詩を和歌を紡いでおられるのではとか、子供等に囲まれながら童歌に興じ、手毬をついてかくれんぼを・・・・角のめし屋のお品書き、屋根に掲げる屋号の文字を、生まれた子へと祝いの歌を。と、ご自分の為に費やす時間は眠りだけ。私の思い知る事を蘇らせながら、頬を緩めて、また、これからの・・・。 時はひととき、私の一日は・・・。
 夜空け前の四時に起き、お隣の井戸から一番の閼伽水(あかみず)を汲み戴き。それは仏様へのお供えする清浄水になります。手足を清め、朝の勤行・・・。お勤がわりますと、お堂の掃除を丹念に熟し、麦飯を炊き、味噌と漬物で頂き、洗い物を済ませ 、庵をい出て自然のなかへ、立ち木の生きる息吹、健気な草のいのち、鳥の囀り、鳥といえば鳥を私 は羨んだことが御座います。あの翼があれば、雪の塩入峠をいとも容易く跨ぎ良寛さまの囲炉裏端へと。この暫しの散策が私に色々のものを感じ取らせてくれるのです。 良寛さまのように・・・。私にも、生きものと、話すことが出来るようになるのでしょうか。 帰って頼まれ物の仕立てに取り掛かります。大店の奥さまの打掛けから、可愛い娘さんの人生の角での嫁入りの晴れ着、遊女の褥着、ありとあらゆる針仕事が、私を頼りに持ち込まれます。さして得意ではなかった嗜みの針仕事、根を詰めて糸で綾なします。その間は、良寛さまのことを忘れて着る人 の幸せを糸に託して・・・。ひと段落すると、明かり取りの下に転がる手毬のかがりに時を使います、良 寛さまはいつか、  「貞心尼の手毬は飾りも見事なら良く弾む」その世辞とも思える賛嘆を頂きたいと精を注ぎまする。良寛さまと今まで過ごした時の楽しさを思い起し、これからなにをどうと考えていますと、頬はぽかぽかと 、身体の中に温石をい抱いたように火照り、仏に仕える身でありながら不謹慎な事でございます。その 念いが、次には墨と硯の世界へと・・・。
「なあに~何事も自然が一番じゃ、逆ろうことが何であろうかな」 良寛さまの言葉が軽やかに鈴を鳴らすように響きます。
 この、何の変わりのない繰り返しが、私の修業、解脱への道程・・・そんな一日はほんの一時。時の流れの速さに繰り言のひとつもと・・・。ですが、雪の季節はむしろ有り難いと念う、人間とはなにかと思いて・・・。深く祈念を仏典の中に求めて彷徨、あれこれと応えのな い思を巡らせ、その一時が御仏に寄り添える時でございますゆえに。
 あれは、はじめて良寛さまにお目にかかったのは・・・十七の春。 長岡藩士奥村五兵衛の娘マスとして生まれました。母は長患で他界し、家の米櫃は空っぽ・・・。口 べらしの為に、早く嫁に行けとの父の胸の内・・・。そのように思うては・・・。きっと、自分の娘でいるよりは幸せを掴めるであろうとの父の想い・・・。いいえ、何もかも、時の運び、北魚沼郡の小出で医者をしておられた関長温(せきちょうおん)から話があり、これも定めと決め縁の糸を結び輿入を・・・。花嫁籠の中で、「汝がつけば 吾はうたひ あがつけば なはうたひ・・・」「ひい ふう みい よう・・・」 こども達の燥ぐ声とともに聞こえたのが、良寛さまのお声でした。 無論その時、そのお声が良寛さまだとは・・・。 わたしは、籠の引き戸をずらせて、面長な輪郭の中に、はっきりとした目鼻唇、頬の肉が反り落ちているようで、より、耳の大きさを・・・霞みそうが群れをなして咲き・・・その時、何故かこの出会いは唯一度のことではないと感じたのです。人の妻への道程のなかでそのように感じたのは不貞なのでしょうか?そう思った報いなのでしょうか、嫁いでの五年の日々は地獄でございました。頼りない夫、口うるさい小姑、何事にも細かく厳しい姑、口性の喧しい小働きの女たち。本が読め、紙に硯、筆、その中で子を為してと考えていた私は、夫の医療の手伝い、待合の人達へ薄い番茶を、薬の調合と、毎日が忙しく、自分の時間などとてもとても。夫との寝やの床は、障子を隔てての側に姑の床がと言う、私の行いの総てが見張られているようで・ ・・。「まだややが出来ぬのか?」との姑の叱責するような言葉。「若奥様はお可哀相じゃ、主人は不能で種なし茄子・・・」「ほころびかけた牡丹の花の滾る蜜は梔子の花の香り・・・。若奥様はどのよう になさっておいでなのかしら」小働きの女の陰口。ほころびかけた牡丹の花、梔子の匂い、その事も知らずに・・・、いた私が漸く分かり、顔を赤くし俯き ました。
 五年間、そんな時の流れの中で、待合の客が落とす良寛さまの噂、歌がどうしたの行いがどうだったのと、それが、せめてもの慰めでありました。 夫が丹毒であっけなくなくなり、私は着のみ着のまま里へ返されました。ほっとしました。家に帰りましても、子持ちの誰だれの後添いに、大店の隠居の妾にと。私は、逃げるように家を出て、柏崎の乳母を頼って・・・。その乳母も、二ヵ月もしないうちに逝かれ、拝みにこられた心竜尼様に出逢ったのです。 たしか十二の時に、長岡からは海は遠おく、一度乳母に手を引かれ柏崎へ・・・。その時初めて海を・・・。その広さに圧倒され茫然と眺めたこと・・・。汐の音になぜか身体が熱くなり・・・。月・・・。 二十三の時は、柏崎からの海の眺めは大きな川の流れに見えました。何一つ同じものがない砕ける波濤、その音の 凄まじさ。まるで大きな生物が、広がる空の中へ溶け込み一つとなって消えていくというふうに。 その姿に、人間の迷いや喜びはなんと小さいものかと、心の中にあったものが吹き飛んだように・・・。それから海が好きになったのです。海の様な大きく広い心を持ってすべてのものを包み込んであげたい、そんな思いに駆られたのです。 白いふんわりとした雲はいつかみた良寛さまのお姿に変わり、無邪気に戯れるお姿に、嬉々とした笑 顔に・・・。 それは、この私を仏の道へと・・・。私は、良寛さまと同じ仏の使いとしてその道を辿りたいと・・・。私は、柏崎は閻王(えんおう)寺の庭に立っておりました。帰るとことてないわたしは、そこに住込み、寺女のように働きました。髪を切ると、眠竜尼さま、心竜尼さまに申し出たときには、「そんな若さで出家しても通しきれるものではありません」 相手にしては貰えませんでした。 今までの、総てを過去のものとして、新しく出なおしたい、その願いが届くまでには時が過ぎましたが・ ・・。 一年後、二十四まで慈しんだ髪を落としました。「ほんに勿体ない、未だ今のうちなら間に合うから」鋏と剃刀を入れながら何度 溜息をつれたことか 。「艶やかな黒髪、白い餅肌ゆえに余計に映えて・・・綺麗じゃな」「未練はございません、どうぞ宜しくお願いいたします」「剃った後の顔も、なんと美しい」 心竜尼さまはふつくらとした顔を綻ばせていった。「この長い髪は取っておくように」 眠竜尼さまが元結(ひも)で根元を束ね、奉書に包んでくれた。 白い襦袢も墨染の法衣も頂き、着けてみた。何やら身が軽くなったような、心まで清められたような・・・。「まるで、小僧さんのように可愛い」   「なんと可愛い比丘尼(びくに)じゃろうか」 剃り落とした青い頭を見られて、お二人はまるで子供のように燥いでおられた。それから、お二人を師匠として色々と学んだのでございます これで、良寛さまと同じになれた、その思いの方が強をございました。 あれから・・・。あれから 五年の歳月が・・・。閻魔堂の庵主として・・・。゜゛ 今は・・・。鳥達も冬の支度を終えて・・・。 
暗転
                    

はちすの露2へ続く                                  


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